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東京地方裁判所 昭和39年(行ウ)7号 判決

原告 西沢武久

右訴訟代理人弁護士 古関三郎

山本治雄

被告 東京都知事 美濃部亮吉

右指定代理人東京都事務吏員 石葉光信

〈ほか二名〉

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

(原告)

一、東京都収用委員会が、被告の土地収用裁決申請に対し昭和三八年一一月一一日付でなした裁決のうち、原告所有の別紙物件目録記載の土地の収用により原告の蒙る損失補償額を別紙「裁決時の更地単価等一覧表」記載の補償金額九七、二七七、五〇〇円に変更する。

二、被告は、原告に対し、金五〇〇〇万円及びこれに対する昭和三八年一二月二〇日以降支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(被告)

主文第一項同旨

第二請求原因

一  別紙物件目録記載の土地(以下本件土地という。)は、もと原告の所有であったところ、本件土地を拡張道路予定地とする東京都市計画街路幹線街路放射街路第四号線(いわゆる放射四号線)の築造事業について、昭和三三年七月四日、被告を施行者として都市計画法第三条による都市計画事業決定の告示がなされ、また右路線の築造はオリンピック幹線道路として緊急に施行することを要する事業として、昭和三七年六月一二日、公共用地の取得に関する特別措置法第七条の規定による特定公共事業の認定及びその告示がなされた。

ついて、被告は昭和三七年八月頃から東京都世田谷区三軒茶屋地区の土地買収及び物件の移転について、土地所有者らと交渉を始め、この頃から原告及び関係人訴外佐々木弥六らと交渉を行なったが、補償額についての交渉が成立するにいたらなかった。そして、被告は、昭和三八年二月一六日、土地収用法第三三条の規定に基づき本件土地について土地細目の公告を行ない、同年五月二四日、同法第四〇条の規定に基づき原告らに対して協議書を発送して回答を求めたが協議が成立しなかった。

そこで被告は、同年七月一〇日同法第四一条の規定により、訴外東京都収用委員会に対し、本件土地収用についての裁決申請を行ない、同年一一月一一日これに対する同委員会の裁決がなされ、右裁決の正本は同年一一月一三日原告に送達された。

二、右の裁決によれば、本件土地を収用すること、原告の本件土地所有権に対する補償金額を金二九、九五〇、四五〇円、工作物移転料金八八、八三〇円(訴外佐々木弥六ら関係人の借地権に対する補償金額は合計六五、四〇九、〇五〇円)とすること、収用の時期を昭和三八年一二月二〇日とすること、とされている。

三、ところで本件土地の、右裁決時における更地価格及び補償単価は、別紙「裁決時の更地単価等一覧表」記載の金額をもって相当とする。すなわち

(一)  三軒茶屋町五七番の六宅地(八合一勺)、同番の一三宅地(四坪六合七勺)は、別紙図面の通りの関係位置にあり、いずれも原告の自用地であるところ、東京都収用委員会はこの両地が同番の一の土地と全く一体であるとみなして、単なるめくら地又は裏地として坪当り三五万円と評価した。しかし、同番の六宅地(八合一勺)は、同番の一の原告所有の土地から同番の五の訴外由上惣一の家屋と同番の七の訴外佐々木弥六の家屋の間の幅三尺の道路を通って公道商店街に出るための出口にあたる位置にあったもので、その地上には門柱一本と敷石三個、板塀三間が存し、原告の家人がここを通路として利用していたものであった。(もっとも、この通路部分について、原告がなんらかの権利を設定していたものではない)

また同番の一三宅地(四坪六合七勺)は周囲を板塀で囲まれ、井戸があり、庭木等も植えられていたが、これも同番の一一、同番の一四の土地の一部と同じ位置にあったものである。この同番の六と同番の一三の各宅地の右裁決時における価格は、隣接する裏地の同番の七や同番の一一、一四の価格と変りがあるわけはないのであって、坪当り七〇万円が相当である。

(二)  次に、三軒茶屋町五七番の七、一〇、一一、一二、一四の各土地の右裁決時における更地価格については、坪当り七〇万円、同番の九については坪当り七五万円を相当とする。訴外東京都収用委員会はこれらの土地に訴外佐々木弥六らの借地権が設定されていると認定したが、そのような借地権は存在しなかった。

(三)  従って、本件土地の収用による所有権の喪失に基づき原告の受ける損失の補償額は、別紙「裁決時の更地単価等一覧表」記載のとおり、更地価格によって算出された合計金九七、二七七、五〇〇円を相当とすべきである。

四、よって原告は、被告に対して右の損失の補償を求めるものであるが、先ず、訴外東京都収用委員会が被告の土地収用裁決申請に対して昭和三八年一一月一一日付でなした裁決のうち、原告に対する本件土地の収用による損失補償金額を別紙「裁決時の更地単価等一覧表」記載の補償金額合計金九七、二七七、五〇〇円と変更する旨の判決を求める。

次に、被告は、右裁決に示された補償金二九、九五〇、四五〇円を原告に提供したところ、原告がその受領を拒んだので、被告は同月一一日弁済のため供託し、その後、原告はこれを受領した。よって原告は被告に対し、右変更額との差額金六七、三二七、〇五〇円のうち五〇〇〇万円及びこれに対する昭和三八年一二月二〇日以降支払いずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるものである。

第三被告の答弁及び主張

一、請求原因中、一、二の事実を認める。三の事実のうち、本件土地中三軒茶屋町五七番の七、九、一〇、一一、一二、一四の右裁決時における更地価格が原告主張のとおりであること、同番の六、同番の一三の宅地が原告の自用地であり、別紙図面のとおりの関係位置にあること、同番の六の宅地は同番の五と七との間の三尺の通路部分を通って公道商店街に出るための出口に当っていたことは認めるが、右自用地の裁決時における更地価格及び本件土地収用により原告が所有権を失うことによって受ける損失の補償額についての原告の主張を争う。四の事実のうち被告が原告主張の裁決による補償金額を供託したことを認めるが、その他の原告の主張を争う。

二、本件土地のうち、三軒茶屋町五七番の一三(四、六七坪)及び六(八合一勺)の原告の自用地は、原告の庭地の一部をなしている土地である。そのうち同番の一三は、その周囲が板塀等で囲まれ、表地(商業地)とは完全に遮断され、かつ、植樹さえされている原告の庭地の一部であり、表地からみれば、いわゆるめくら地又は裏地である。同番の六も原告の庭地の延長部分にすぎず、これまたいわゆるめくら地である。

それゆえ、自用地が表地に隣接する位置にあっても、自用地の地形、面積、間口及び利用実態並びに「裏地半値」の取引慣行等を考慮すれば、自用地の価格が表地に比して安くなるのは当然であり、右裁決が表地の価格五〇パーセント減価の三五万円をもって右自用地の価格としたことは適正というべきである。なお、付近地についても、裏地は表地の半値で評価されていることは、別紙「売買実例一覧」のとおりである。

三、次に、自用地を除く本件土地のうえには、別紙「裁決時の更地単価等一覧表」の関係人欄記載のように、訴外佐々木弥六らの、普通建物所有を目的とする賃借権が存していたのであるが、借地権の存する土地の収用に伴う損失の補償においては、借地権に対する損失補償相当額だけその設定者である土地所有権者が負担することになるのは当然であって、土地所有権価格から借地権価格を控除したものを土地所有者に個別補償するいわゆる控除方式が、現在いずれの起業者においても採用されている妥当な補償方式である。東京都収用委員会は、土地所有者である原告と借地人らとの補償金額の配分割合について、本件借地権の収用裁決の時期における通常の取引価格(本件借地権と同一程度の借地権を取得するに必要な価格)、日本不動産研究所の鑑定価格(七割五分)及び附近地の慣例等を勘案し、借地人七割、原告三割としたのであるから、この配分割合は正当な補償基準というべきである。

ところで、本件土地のうち自用地を除く各宅地の賃貸借関係の成立及びその継続の経過は、次のとおりであって、いずれも建物所有を目的とする通常の賃貸借というべきである。

≪以下事実省略≫

理由

一、請求原因一、二の事実は、当事者間に争いがない。

二、原告は、先ず、本件土地のうち三軒茶屋町五七番の六宅地八合一勺及び同番の一三宅地四坪六合七勺の原告の自用地の、本件収用裁決時(昭和三八年一一月一一日)における更地価格は坪当り七〇万円であるから、補償額は、裁決が規準とした坪当り三五万円を越え、坪当り七〇万円を規準として算定するのが相当であると主張し、被告はこれらの宅地は単なるめくら地であるから坪当り三五万円を規準とするのが相当であると主張する。

三軒茶屋町五七番の六と同番の一三の宅地が、右裁決当時原告所有の同番の一の宅地の一部で、かつ、原告所有家屋の敷地(庭)の一部をなしており、本件土地と別紙図面のような関係位置にあったこと、これに隣接する同番の七、一一、一四の右裁決時の更地価格が坪当り七〇万円であること、同番の六は同番の一の原告の所有地から同番の五の訴外由上惣一の家屋と同番の七の訴外佐々木弥六の家屋との間の幅三尺の通路を通って公道商店街に出るための出口にあたる位置になっていたこと、同番の一三宅地は周囲が板塀で囲まれ、表地(商業地)と遮断されていたことは当事者間に争いがなく、また右の三尺の通路部分については、借地人に対する関係で、原告がなんらかの権利を留保していたものでないことは原告の自認するところである。そして、五七番の一の原告の所有地は本件土地に隣接しているが、同番の一地上の原告の家屋の正門入口はもともと東側の裏通りに面していて、本件土地の面する公道商店街に出るには遠回りをしなければならない位置にあることは、本件口頭弁論の全趣旨から認めることができる。

次に≪証拠省略≫によれば、五七番の六と一三の宅地の買収前の状況は、板塀によって表地の商店街と区切られていて、いわゆるめくら地の住宅地の一部として使用されていたこと、東京都における土地収用に伴う損失補償の算出基準としてめくら地(裏地)は表地の二〇ないし五〇パーセントの減価をするのが例となっており、付近の取引実例として別紙売買実例一覧記載のような取引があって、裏地は表地の約半値で評価された例もあったことが認められ、右認定を動かすに足る証拠はない。

右の諸事実によると、右五七番の六及び一三の宅地の補償額を表地の更地価格坪当り七〇万円の半値を規準として評価することは不当とは認められない。そして、右宅地の補償額が前記裁決額を越え、表地の更地単価を規準として算定した全額に当ることを認めるに足る資料も証拠も存しないのであるから、原告の右主張は結局採用することができない。

三、次に、原告は、本件土地のうち、原告の自用地を除く宅地の所有権に対する補償額は、裁決時において借地権等の負担が存しなかった土地であるから、裁決当時の更地単価を規準としてその全額をあてるのが相当であると主張するのに対し、被告は右各宅地には、土地細目の公告当時及び右裁決時において、訴外佐々木弥六らの建物所有を目的とする借地権が存したのであるから、所有権価格から借地権価格を控除して決定した本件裁決の補償金額が相当であると主張する。結局、主たる争点は、別紙更地単価等一覧表の関係人欄記載の訴外佐々木弥六ら六名と原告との間に、右裁決時において同表記載の各宅地について、それぞれ建物所有を目的とする通常の賃貸借が存在したかどうかにあるので、以下この点について判断する。

(一)  訴外佐々木弥六の賃借権について

≪証拠省略≫を総合すると、次のように認められる。

訴外佐々木弥六は世田谷区太子堂町において呉服商を営んでいたが、昭和三〇年頃から地主に立退を要請され、付近に適当な敷地を求めていたところ、不動産業者馬場、山本等の仲介によって、昭和三二年二月七日、本件土地のうち三軒茶屋町五七番の七所在の宅地一三、六九坪を原告から、建物所有の目的で、賃料月六〇〇円、期間二〇年の約定で、賃借した。その際、佐々木は原告から同地上の木造亜鉛葺平屋店舗付住宅(約八坪)と右借地権とを二五〇万円で譲受けるという売買契約書を作成したが、右店舗付住宅はバラック同然の建物であったので、二五〇万円は、ほとんど借地権設定の権利金に相当するものであった。また原告は、佐々木に対して右建物は原告の義兄布川栄三郎に賃貸してあるので、佐々木が土地を賃借し、右建物を買取るのであれば、解約手附金が必要であるといったので、佐々木は、やむなく、原告に二〇万円を支払った。

佐々木は賃貸借契約書を作成する直前に、原告側から本件土地がひょっとすると道路になるかもしれないと告げられたので、多額の投資をして建築し営業を始める関係上、区役所の建築課に問合せたところ、道路になることが具体化していないといわれたので、原告と賃貸借契約を締結した。もとより、原告側から二、三年後に道路敷になるなどという話は出たことはなかった。

以上のように認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

そして、佐々木弥六は昭和三二年七月頃右土地上に木造瓦葺モルタル塗二階建居宅兼店舗建坪九・五坪二階四・七一坪を建築し、同地上で呉服商を経営し、本件裁決時まで六年以上も経過したこと、なお、その間、地代は、昭和三二年六月一八日から同月三〇日まで三〇〇円、昭和三二年七月以降七〇〇円、昭和三四年一月以降八九〇円、昭和三六年四月以降一、三〇〇円というように数回改定され、佐々木はこれに応じて支払ったことは当事者間に争いがない。

以上の諸事実からすれば、訴外佐々木弥六は、昭和三二年二月七日三軒茶屋町五七番の七所在宅地一三・六九坪を、建物所有の目的で、期間二〇年と定めて賃借したことを認めることができるのである。

原告は、一時使用の賃貸借であると主張し、甲第一号証には「都市計画に該当することを双方承知のこととする」旨の記載があるが、これによって右認定を動かすに足りない≪以下証拠判断省略≫。

(二)  訴外染小元次の賃借権について

≪証拠省略≫を総合すれば、訴外染小元次は昭和二二年四月一六日、原告から三軒茶屋町五七番の一四の宅地二一・五坪を、建物所有の目的で期間を定めることなく、賃料一月五五円と定めて賃借し、かつ、その際権利金二万円(坪当り一千円)を原告に支払ったこと、染小元次は同年七月同地上に臨時設備とは異なるいわゆる本建築の木造ルーフィング店舗兼居宅一二・五坪を建築し、その後昭和二七年末までに三回にわたり増改築し、木造セメント瓦モルタル塗二階建店舗兼住宅建坪二〇・七四坪二階二〇・六六坪の規模にしたこと、及び右借受当時から本件収用裁決時まで原告から建物の改築について、それが一時使用の趣旨に反するなどの苦情をいわれたことがなかったことを認めることができる。そして、染小が右裁決時まで一六年以上も賃借し、同地上で文具製造業を営んでいたこと、地代は、昭和二二年頃には一月一、五〇〇円、昭和三三年四月以降一月一八五〇円、昭和三五年四月以降二七五〇円にそれぞれ値上げされ、染小もこれを支払ったことは、当事者間に争いがない。

以上の諸事実によれば、染小元次と原告との間の賃貸借は建物所有を目的とする通常の賃貸借ということができる。

この点について、原告は、染小元次との賃貸借契約締結に際しては、とくに契約書に手書きで「住宅敷地トシテ一時使用セシムル為賃貸」すること、「賃貸借ノ存続期間ハ都市計画道路予定線ニ就キ道路拡張土地買収迄トス」ることを明示し、かつ、合意の内容としたから、右賃貸借は一時使用の賃貸借契約であると主張し、前掲甲第六号証(賃貸借契約書)には同文の記載があり、また証人≪省略≫もこれにそうような証言をしている。しかし、証人≪省略≫の証言(第一回)によれば、昭和二二年二月頃同人自身も本件土地がいつ頃道路敷となるかについて知っていたわけではなく、また染小に対して、何年位たったら道路敷になるかを告げたものでもないと認められ、また三軒茶屋の住民がその頃本件土地が近い将来道路敷となることを知っていたという供述も、その根拠について具体性を欠くのみならず、証人佐々木辰治、同染小元次の証言に照らして、たやすく措信できない。証人西沢一郎、同西沢文子の右同趣旨の供述についても右と同様のことがいえる。その他右賃貸借締結当時本件土地が都市計画によって、近い将来において、またはある程度具体的に特定できるような期間内に、道路敷となることが予見しうるような状況にあったことを認めるに足りるほどの証拠はないのみならず、右認定のような権利金の授受、地上建物の構造及び増築、地代値上げ、その他の諸事情からみて、果して右賃貸借契約書の前記記載条項が借地法第二条ないし第八条の適用を一切排除しうるほどの効果をもつ条項として当事者間にとくに合意されたと認めることは、甚だ困難というべく、せいぜい、抽象的に、将来道路拡張土地買収という事態が発生しても地主として賃貸借上の責任を負わないという程度の内容のものとして認めうるにとどまるのであって、結局、右契約書の前記条項は、それによって当事者間に特段の法律効果を生ぜしめるものとして合意されたものではなく、いわゆる例文にひとしいものというのほかない。

(三)  次に訴外内田幸治、本多平八郎、高塚卯平、加藤博らと原告との間の本件土地の賃貸借について考察すると、それが「一時使用」の目的で「道路拡張土地買収迄」を合意の内容としたかどうか、当事者が近い将来道路になることを予想していたかどうか、権利金の額を高額と評価するかどうかの点を除いて、被告主張の事実(第三、三(二)借地人加藤関係(ア)、(ウ)、(エ)、(オ)(但し改築坪数を除く。)(カ)、(キ)の各事実、(三)借地人内田関係、(ア)(但し、権利金の額を除く。)(イ)、(エ)、(カ)、(キ)の各事実、(四)借地人本多関係、(ア)、(ウ)、(オ)、(カ)の各事実、(五)借地人高塚関係、(ア)、(エ)、(オ)の各事実)は当事者間に争いがなく、被告主張の右第三、三、(二)加藤関係(オ)の改築坪数、(三)借地人内田関係(ア)の権利金の額、(オ)の事実、(四)の借地人本多関係(エ)の事実、(五)の借地人高塚関係(イ)の事実は、≪証拠省略≫を総合して、これを認めることができる。

そして≪証拠省略≫によれば、原告は訴外加藤博、内田幸治及び本多平八郎の前借主丹羽義行、高塚卯平の前借主竹沢フデに対し、またその承継人である右訴外人らに対し、存続期間については、訴外染小元次との賃貸借におけると全く同一の条件で、本件各土地を賃貸したものであることが認められるのである。そして右訴外人らと原告との間の賃貸借契約書には、染小元次との間の契約書記載と全く同じ条項が、手書きで明示されていることは、≪証拠省略≫によって認められる。

ところで、染小元次との賃貸借における「一時使用」のための「道路拡張土地買収迄」とする条項は、前認定のとおり、借地法第二条ないし第八条の適用を排除して一時使用の賃借権を設定する効果をもつものとして合意の内容とならなかったのであるが、これと同様に、訴外加藤、内田、本多、高塚らと原告との間の賃貸借契約についても、前認定の賃貸借についての事実関係のもとにおいては、一時使用の賃貸借が合意されたものと認めることは困難であり、≪証拠省略≫が原告主張事実を証するに足りないことは、訴外染小元次の賃貸借について述べたのと同じである。そして他に原告主張の一時使用の賃貸借を認めるに足りる証拠はない。

従って、訴外内田、本多、加藤、高塚と原告との間の賃貸借も、染小の場合と同様、建物所有を目的とする通常の賃貸借というべきである。

(四)  本件土地についての各賃貸借成立の事実関係は右認定のとおりであるが、次に、右各賃貸借関係が本件土地収用裁決時に存在していたかどうかについて考察する。

原告は本件土地の各賃貸借は本件裁決時の昭和三八年一一月一一日以前に消滅していたと主張するが、これは右賃貸借が一時使用の賃貸借であることを前提とするものであって、その前提が成り立たない以上、右の主張は到底採用できない。また、他に、右裁決時又はそれ以前に、本件土地の賃貸借が終了又は消滅したことを肯認するに足る主張及び証拠もない。

次に、原告は、本件各土地の各賃貸借は「道路拡張土地買収」によって終了し又は消滅することを合意の内容としている点において、通常の賃貸借と異なる特殊性があるから、通常の賃借権の価値よりも軽少に評価されるべきであると主張するが、本件土地の各賃貸借の内容は前認定のとおりであるから、その権利の価値が通常の借地権の価値と異なるものとは認められない。のみならず、仮りに各賃貸借の当事者が本件土地が将来道路敷になることを予測して、抽象的に道路拡張のため土地買収がなされたときは賃貸借が終了することを合意して賃貸借契約書に記載したとしても、土地収用によって当該土地の賃借権が収用の時期において当事者の意思にかかわりなく消滅するものであることは、土地収用関係法規の明定するところであるから、それは当然のことを合意したものにすぎず、それを越えて、たとえば、借地権者が、土地収用直前に土地所有者のために自己の権利を放棄するとか、自己の借地権に対する補償を起業者に要求しないとかの合意までを含むものと解することは、そのような合意の効力を別論として、文言上も無理なことであり、また具体的にそのような内容の合意があったことを認めるに足る証拠は存しない。結局、原告の右主張も採用することはできない。

(五)  以上要するに、本件土地には、前記収用裁決時(昭和三八年一一月一一日)において、前認定のように、訴外佐々木弥六、染小、内田、本多、高塚、加藤らの、建物所有を目的とする期間の定めのない賃借権が存在し(本件各土地と右訴外人等の賃借権との対応関係は別紙「裁決時の更地単価等一覧表」の記載どおりである。)、かつ、これらの権利は土地収用法第三三条の規定による本件土地細目の公告の時(昭和三八年二月一六日)に存在していたことが明らかであって、右訴外人等は、同法第六八条に規定する損失補償を受けうる関係人に該当するものというべきである。

ところで、収用裁決時において当該土地について右のような賃借権が存在する場合、土地所有者が収用によって通常受ける損失は、かかる借地権の負担のある土地所有権の喪失による損失にほかならないのであるから、同法第六九条の定める個別払の原則によって土地所有者に対してなされる補償は特段の事情がないかぎり、収用裁決時における当該土地の価格から借地権の価格を差引いたものをもって当てるのを相当と解すべきである。

そこで、本件の場合についてみると、本件裁決は、右訴外人らの借地権の価格を土地の更地価格の七〇パーセントに当るものとし、右土地の価格から借地権の価格を控除したもの(更地価格の三〇パーセントに当る。)をもって原告の本件土地の所有権に対する補償額と決定しているのである。そして、≪証拠省略≫を総合すれば、本件右各土地について借地権の価格を更地価格の七〇パーセントと評価して更地価格からこれを控除したものを原告の土地に対する補償額とすることは不当であるとは認められない。そして、原告に対する本件土地の所有権の喪失に対する正当補償額が右の裁決額を越えて一定の額に及ぶことを肯認するに足る資料や証拠は、他に存しないのであるから、本件裁決時における各借地権の不存在又はその特殊性等を補償額増額の根拠とする原告の主張は結局採用できない。

四、以上のとおりであって、本件土地の収用によって原告の受ける損失について、東京都収用委員会の収用裁決による補償額を越えて補償をなすべき旨の原告の主張は、すべて理由がなく、原告の右補償額の増額変更を求める請求及びこれを前提とするその余の請求は、いずれも失当として棄却すべきである。

よって訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九五条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 緒方節郎 裁判官 小木曽競 山下薫)

〈以下省略〉

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